クラシックギター/Martin K.Yairi アコースティックギター/ウクレレ 専門店のスタッフブログです。
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←バッジョとデルピエロ
栗山氏のブログでサッカー日本代表ネタをお送りすることがありますが、今回は私もサッカーネタでいきたいと思います。
元々、サッカーおたく(観る方です)であった私は98年ころをピークにめっきりサッカー観戦しなくなりました。
98年といえば、日本代表が初めてワールドカップに出場し、中田英寿がイタリアセリエAに移籍して旋風を巻き起こした記念すべき年です。
これを機に日本代表も着実に力を伸ばし、海外に移籍する選手も増えてきました。
同時に、今までサッカーに全く興味を持たなかった人々が、日本代表や海外リーグの評論をするようになり、私自身は何となく興ざめし、観る機会が減ってしまったのでした・・
日本代表の初出場、バランスのとれた素晴らしいチーム作りで優勝したフランス代表は最高のチームでした。私自身としてはR・バッジョのファンだったのでイタリア代表を応援しておりましたが・・・
イタリアはこのシーズン、チャンピオンズリーグで大活躍していたデル・ピエロが不動のエースでしたが、デル・ピエロはチャンピオンズリーグ決勝で足を痛め、不調のままワールド・カップに出場。一方、R・バッジョは選手として円熟期にあり、前回のワールド・カップ敗戦より不死鳥のごとく蘇ったのでした。バッジョは初戦のチリ戦で見事にPKを決め世界中のファンを感動させたのです。94年アメリカ大会の決勝でブラジル相手にPKを外してうなだれている姿が印象的でしたが、初戦の重要な舞台でR・バッジョにPKを蹴らせたマルディーニ監督の男気にも痺れました・・・この試合1ゴール1アシストの大活躍。準々決勝のフランス戦ではボレーシュートが枠をとらえず外れましたが、あれが決まっていれば・・あの時、テレビの前で絶叫しました・・・
つくづくサッカーのチーム作りは難しいと思います。絶対的エースが不調になった場合、どのようなチーム構成をするか。デル・ピエロはワールド・カップ寸前はチャンピオンズ・リーグ得点王。スペインのラウールも初戦のナイジェリア戦ではスーパーゴールを決めたが調子は上がらずチームはグループリーグ敗退。
現在の選手で考えても、メッシやC・ロナウドが絶不調でも代表から外すわけにはいかないですからね。
今では欧州サッカーといえばスペイン・リーグを真っ先に思い浮かべる方も多いはずですが、当時1番人気があった海外リーグはやはりセリエAでしょう。
その当時イタリアの強豪チームは大枚をはたいて名選手を買い漁っており、守備重視のサッカーは時に個人の特殊能力を押しつぶす傾向にありました。
アメリカ大会得点王の「ストイチコフ」オランダのターミネーター「ベルカンプ」などもこのリーグには水が合わず活躍出来なかったのです。
また、ペレやマラドーナにみられたような背番号「10」の役割は、よりタフネスさが要求されるようになり、ファンタジー+フィジカルの強さが共存したような選手、ジダンやトッティのような背番号「10」の選手を中心としたチームが台頭していたのではないでしょうか。
まあ、長くなるので今日のサッカーネタはこのくらいにさせていただきますが、サッカーは私の大好きなボクシングに似たところもあり“シンプルな中に様々な技術、戦術がある芸時術性の高いスポーツ”ですね。
また、80年代後半頃までパンツがピチピチなところもちょっとボクシングに似てます。
今日はサッカーネタに熱くなってしまった石井がお送りしました。
では、明日は栗山氏のブログをお楽しみください。
栗山氏のブログでサッカー日本代表ネタをお送りすることがありますが、今回は私もサッカーネタでいきたいと思います。
元々、サッカーおたく(観る方です)であった私は98年ころをピークにめっきりサッカー観戦しなくなりました。
98年といえば、日本代表が初めてワールドカップに出場し、中田英寿がイタリアセリエAに移籍して旋風を巻き起こした記念すべき年です。
これを機に日本代表も着実に力を伸ばし、海外に移籍する選手も増えてきました。
同時に、今までサッカーに全く興味を持たなかった人々が、日本代表や海外リーグの評論をするようになり、私自身は何となく興ざめし、観る機会が減ってしまったのでした・・
日本代表の初出場、バランスのとれた素晴らしいチーム作りで優勝したフランス代表は最高のチームでした。私自身としてはR・バッジョのファンだったのでイタリア代表を応援しておりましたが・・・
イタリアはこのシーズン、チャンピオンズリーグで大活躍していたデル・ピエロが不動のエースでしたが、デル・ピエロはチャンピオンズリーグ決勝で足を痛め、不調のままワールド・カップに出場。一方、R・バッジョは選手として円熟期にあり、前回のワールド・カップ敗戦より不死鳥のごとく蘇ったのでした。バッジョは初戦のチリ戦で見事にPKを決め世界中のファンを感動させたのです。94年アメリカ大会の決勝でブラジル相手にPKを外してうなだれている姿が印象的でしたが、初戦の重要な舞台でR・バッジョにPKを蹴らせたマルディーニ監督の男気にも痺れました・・・この試合1ゴール1アシストの大活躍。準々決勝のフランス戦ではボレーシュートが枠をとらえず外れましたが、あれが決まっていれば・・あの時、テレビの前で絶叫しました・・・
つくづくサッカーのチーム作りは難しいと思います。絶対的エースが不調になった場合、どのようなチーム構成をするか。デル・ピエロはワールド・カップ寸前はチャンピオンズ・リーグ得点王。スペインのラウールも初戦のナイジェリア戦ではスーパーゴールを決めたが調子は上がらずチームはグループリーグ敗退。
現在の選手で考えても、メッシやC・ロナウドが絶不調でも代表から外すわけにはいかないですからね。
今では欧州サッカーといえばスペイン・リーグを真っ先に思い浮かべる方も多いはずですが、当時1番人気があった海外リーグはやはりセリエAでしょう。
その当時イタリアの強豪チームは大枚をはたいて名選手を買い漁っており、守備重視のサッカーは時に個人の特殊能力を押しつぶす傾向にありました。
アメリカ大会得点王の「ストイチコフ」オランダのターミネーター「ベルカンプ」などもこのリーグには水が合わず活躍出来なかったのです。
また、ペレやマラドーナにみられたような背番号「10」の役割は、よりタフネスさが要求されるようになり、ファンタジー+フィジカルの強さが共存したような選手、ジダンやトッティのような背番号「10」の選手を中心としたチームが台頭していたのではないでしょうか。
まあ、長くなるので今日のサッカーネタはこのくらいにさせていただきますが、サッカーは私の大好きなボクシングに似たところもあり“シンプルな中に様々な技術、戦術がある芸時術性の高いスポーツ”ですね。
また、80年代後半頃までパンツがピチピチなところもちょっとボクシングに似てます。
今日はサッカーネタに熱くなってしまった石井がお送りしました。
では、明日は栗山氏のブログをお楽しみください。
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東京都新宿区新大久保のクロサワ楽器日本総本店は、地上3階・地下1階の各フロアがそれぞれ日本最大クラスの専門店です。各フロアには専門のリペアマンが常駐、リペアブースも完備していますので、楽器の修理・調整に関することもおまかせください。
通販でもきっちりと調整・検品させて頂きますので安心してお買物をお楽しみください。
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